世の中には雑多な情報が散らばっています。私も含めて多くの人は、日常生活の中でこの雑多な情報の中から取捨選択して行動選択の判断基準にしていると思います。しかしながら、その判断は本当に自分自身で思考したものなのでしょうか。
情報の入手手段
世の中にあふれている情報の真偽はともかくとして、メインストリームメディアにしろソーシャルメディアにしろそのほとんどが何らかの個人的判断を乗せて発信されています。多くの人は普段はほとんど気にしていませんが、メインストリームメディアであるTVやラジオの情報番組、新聞記事、雑誌などは、確実にスポンサーが存在しています。また、発信がほぼ一方向である上に、作り手側の都合が情報発信の向こう側に存在している事がほとんどです。つまり、これらの媒体から発信されている情報は、容易に入手出来る代わりに、いくつかのベクトルが加えられている『加工された情報』と考える事が出来ます。
一方でこうしたメインストリームメディアに対する存在とされているのが、ソーシャルメディアです。ブログや短文投稿サイト、BBSなどそのほとんどは、ネットを利用した個人間のコミュニケーションツールです。個人間ではありますが、個人対個人だけでなく個人対多数や多数対多数でのコミュニケーションも可能であるため、現在では情報発信の手段としても用いられることも多くなっています。これらSNSからの情報は、生の発信であるが故にメインストリームメディアより速く大量に入手できることがありますが、雑多な内容の情報を受け手が吟味精査する手間があります。また、メインストリームメディアとは異なり双方向でのやりとりのため、異なる意見の間で議論を交わせて情報の正誤が判断しやすくなる半面、議論が過熱して感情論からその他の反対意見を排除してしまうことも考えられます。
メインストリームメディアにしろソーシャルメディアにしろ、どちらかが優れているわけではなく、どちらにも一長一短あると思っていたほうがよさそうです。
判断しているつもりかも…
本当に必要なことは、これらの情報を基に自分自身の行動の指針を自分自身で判断することです。『TVのニュースが○〇と言っている』とか『Aさんがブログで××と言っている』からそうするほうがいいというのは、情報を入手して自身で判断しているように見えていながら、実は情報に操作されているのではないでしょうか。判断に個人差はあるかもしれませんが、入手した情報を基に自身の感情と思考を乗せて行動の指針とする、つまり、自分の頭で考える事は意外と難しいことなのかもしれません。